日記【舅とのあれこれ】

日記

近所に住む舅のご飯を作って約7年。

今は一日に3回は我が家に遊びに来る。

孫とよく遊んでくれるし、子供たちはおじいちゃん大好き。

子供たちは喜んでいるし、私も嫁としてできることをやってこようと思って来た7年だった。

基本、中途は人の嫌がることは言わない世渡り上手な面がある。

私も大変ながらもそれが当たり前としてやって来たので、この関係について疑問に思うこともなかった。

普通に愚痴を言うでもなく、幸せな日々。

自身の子育てを振り返るに当たって、自分の課題を子供に投影して怒っていると言う事実に気づいた私は、

自分の言動の動機をよく振り返るようになった。(実際は本当の動機を自分で見えているかは謎)

すると自分の見える世界が少しづつ変わっていった。

今まで家事や育児を無理してこなすようにやっていたのは、『母』、『妻』の鎧を被った自分だった。

精一杯、その役割の理想像を描き、それに見合うように頑張る日々。

整理整頓はど苦手なことも多く、自分の思い描く思想の役割を着た『私』に成れている日なんてほとんどなかった。

気づけた大きな一つは、今生きているのは役割を着た自分じゃなくて、『私』なんだということ。

だから苦手なことは仕方がない、ではない。

できない自分もありのままの自分。

そして今の自分が何を努力すればいいか考えるようになった。

ニュアンスを言葉にするのが難しい。

少しづつ、自己確立ができるようになってきたのか、

舅の自分の思うがままに周りをコントロールする感じに迎合することが嫌になってしまったのだ。

前は本当にそれが優しさだと思ってやっていたので、共依存だったと思う。

夫から舅にメールをしてもらった。

「病院に行かないのなら、病院の情報を調べてってお願いしないで欲しい」

「朝、うちに遊びに着て、みんなが寝てたら起こさないで欲しい」

「料理が美味しくないと言われて嫌だった」

その舅は夫に

「俺なんて迷惑なんやろうからそっちには一切行かん!」

と怒ってしまい、合鍵は返された。

なんだか私はホッとしている。

自分の家なのにいつ遊びに来るかわからないから、真のリラックスできていなかったなぁ、と。

この一連のことにかなり精神的にしんどくて自分の選択が間違っていたのだろうか、と自分を責めたりもした。

心理士の先生にお話ししたら、気づけてよかったですね、て言われた。

それはおじいちゃんの課題を自分の課題だと思って引き受けなくていいですよ、と。

自分に余裕のあるときは愚痴でも話聞いてあげれば良いですが、自分がいっぱいいっぱいの時は

そこまでする必要はないです、と。

先生のアドバイスもあって、今日久しぶりに顔を合わせたので、喋った。

「今までおじいちゃんがしてくれたことには感謝しています。ただ、朝に赤ちゃんがにている時は来ないで欲しいのと、

私にもできることと、できないことがあって、できる時は色々できますがそうじゃないともあると言うだけです。

なので、色々してもらったことは感謝しています。」

と伝えた。

ここ数日のどんよりした気分からスッキリした。

(顔を合わして、自分なりに解決するまでどんよりしちゃうのがまだまだ他人の不機嫌に敏感な自分なのだと思った)

本当にここ数日は息子たちにもイライラしてしまい、傷つく言葉と何度か行ってしまい反省しかない。

舅の顔色より、大切なのは子供が居心地の良い空間で暮らすにはどうすればいいか、ってことの方が大切。

自分の家を自分の心地よい居所にして行く。

その心地良さは、家族にも伝わって行くのかな。

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